ホテル組合のあゆみ http://www.oah-net.or.jp/ ja-JP 2024-05-04T06:48:00+09:00 表彰状・感謝状 http://www.oah-net.or.jp/about_us/index.cgi 表彰状・感謝状 本組合は、創立以来沖縄国際海洋博覧会の受入体制の強化をはじめ、多くの関係機関や団体等と協力して組合授業に取り組み、表彰状や感謝状を頂きました。<br><br> 2012-05-22T15:34:00+09:00 沖縄県ホテル旅館業のあゆみ http://www.oah-net.or.jp/about_us/index.cgi 沖縄県ホテル旅館業のあゆみ 昭和初期の那覇市内には、鹿児島県出身の久保氏経営による「逢来館」という旅館や、約5〜6軒の旅館が営業していたようです。<br>その他、村宿小(ムラヤドグヮー)という民宿が各地から那覇に来る人達の寄り集り場所として利用され、各地の出身者によって営業されていたようだ。<br>昭和15年に大阪商船が阪神航路の定期船として「台中丸」や「台南丸」が就航すると伊藤忠太博士や柳田邦夫氏等によって推挙された沖縄独特の文化財が「国宝」の指定を受け、沖縄県が広く国内に宣伝されると各層のVIPが来県されるようになった。当時の県知事は、VIPの対応に苦慮され県内にホテルを誘致するために、当時神戸市の「えびすや旅館」に勤務していた宮里定三氏に依頼され、昭和16年に那覇市波之上宮前に落成した「沖縄ホテル」が県内ホテルの第一号になった。<br>沖縄県唯一の「貴賓ホテル」として開業した沖縄ホテルには、李王殿下(陸軍中将)やワン・ワイ・タヤコン殿下(タイ国総理大臣)や、三笠宮殿下、東条英機総理大臣等という国賓や日本政府要人が御宿泊されたが、大戦によって同ホテルも閉鎖することになった。<br>昭和26年に琉映貿が本土から有名タレントを招くようになり、宿泊するホテルがなく那覇市大道に「2階建の木造レンガ造り」の沖縄ホテルが、終戦後の県内ホテル第1号で現在も沖縄ホテルの敷地内に保存されている。 2012-05-22T12:16:00+09:00